PRESS RELEASE
2012年に結成をした、日本のロックバンドグループ。ヴォーカルの森川誠一郎とギタリストの山際英樹、ドラマーの高橋幾郎からなる3人編成。メンバー各自の活動歴は古く、森川は84年頃よりZ.O.A、YBO2。山際は割礼、コクシネル。高橋は不失者、テニスコーツ等。
- 深く沈む
- 呼吸
- gitarre instrumental #1
- 夜曲 nocturnal ocean
- my private sun
森川誠一郎 : vocal&lyrics
2000年、Z.O.Aのアルバム「仮想の人/The moon said that you are the moon」を発表。02年、自身初のソロアルバムでもある「空蝉/utsu semi」を発表。以後、稀ながらも自詩による朗誦をベースとした独自の形態パフォーマンスを継続。
山際英樹 : electric guitar&arrangement
ロックバンド割礼のギタリスト。ソロ作品では、インストルメンタル楽曲の他に、録音コラージュ等も垣間見ることが出来る。楽曲に於けるギターのアレンジ力は秀逸。ソロによる演奏も定期的に行っている。
高橋幾郎 : drums
青蝕器、あけぼのいずをへて、ハイライズ、光束夜、マヘルシャラルハシュバズ、渚にて、シェシズ、不失者、LSD March、カスミトリオにドラマーとして参加。 白石民夫、コサカイフミオ、テニスコーツ、梅田哲也とのコラボレーションのほか、2000年より室野井洋子(ダンス)とあの世のできごとを結成し、発振器などを使った「演奏」を国内外で行っている。
RICHARD HORNER (Black Snowflake Sound) : recorded&mixed
中村宗一郎 (Peace Music) : mastered
小磯卓也(ReguRegu) : music video direction
秋田和徳 : artwork&design
血と雫 je prie pour que la goutte ne tombe pas
山際の卓越したギター演奏と、高橋の俚謡のような土着的リズム。そして、死生観の強い詩を歌う森川は、能や朗誦のバックボーンを持つ。このメンバー各自がもたらす実像はシンプルな演奏と深みのある言葉。そして、真実にアンダーグラウンドロックの断片を促す。
MUSIC VIDEO / 夜を作る
music : 血と雫 je prie pour que la goutte ne tombe pas
director : ReguRegu
RELEASE NOTES
北の大地で形成された日本人特有の肉体、厳しい自然と対峙する身体から涌き上がる表現の空気感が浸透している音。とはいえ、土着的民俗的感覚に陥ることなく、凛とした冷たい研ぎ澄まされた感触が保たれている音。これは完全に役割が分担されているメンバー三人が、一つの世界の中の揺るぎない位置で音を鳴らしているからに他ならない。
凍《こご》えた土、夜の涯《はて》、赤く蝕《むしば》んだ月。
この音源には脈々と血が通っている。人間の血。
血と雫。朱《あか》く、蒼《あお》く。
CD REVIEW
いまだZ.O.Aのイメージを強く持っている者には衝撃的といってもいいほどのヴォーカリゼイションで幕開ける。新バンド、血と雫はものすごく低いところからざわざわとした肌触りを波動のように伝えながら、破裂寸前で息を止める。この間がとても重い。森川誠一郎の歌声は変わりなくハスキーだけれど、最初は泣いているようなバルネラビリティ指数を高く響かせ、やがてじわじわと熱を帯びた攻撃性をまとっていく。山際英樹のギターはまるで耳のすぐそばでゴツゴツ鳴らしているかと思うと次の場面ではエコーを棚引かせながらリリカルに余韻を拡げ、高橋幾郎はグルーヴやリズムキープのレベルとは別にスティックを彫刻刀のようにリズム・スカルプチャーを形成していく。M-4「夜曲」ではいかにも雅な和風メロが歌われるが、このファースト作は総じてほとんど何らかの構えをとることなく知らず知らずに曲は始まり音が止まる。すべてがインプロのようでありながらひとつひとつの音、ひとつひとつの音と音の隙間に精緻で微細な力が働いているようで、それはリビドーのカヴァーであるラスト・ナンバー「my private sun」で際立った叙情の強度に収斂していく。歌と感情の未分化はおそらく理想であり根源だが、そのバランスをとることができるのは稀だ。このアルバムの歌にはいささかの危うさを伴いながらもそれがある。
20121019/石井孝浩(Fool's Mate)彼の言葉は、まさに彼の血であり、その血の雫で綴られたリリックは、彼のごく一般的日常さえも、その突き詰めた対峙から紡ぎ出し、それが一個人の吐露でありながら、ここまで魂を刻む言葉に仕立て上げた事には、正直驚きを隠し得ない。Z.O.Aの幻影を総て断ち切った果てに森川が見つけた世界は、凛としてその詩人の血を際立たせる。これはロックなのか、それともポエトリーリーディングなのか、森川のボーカリゼーションは、そこの住み分けに拘る事なく、歌唱として彼の言霊達を空気の粒子に擦り合わすように解き放つ。僕は、これほど歌唱と言う言葉が似合うヴォーカリストを感じた事が無かった。森川のボーカリゼーションは、何処迄もモノクロームに拡がる。そんな血と雫の世界に、唯一、色彩を与える事を許されたのは、割礼のギタリストでもある、山際英樹の存在である。そんな空気の流れに、その彩どりを織り込むギターの音は、とても土着的で、安らぎと共に、心地良いサイケデリックな吐息を聴かせてくれる。青蝕器、あけぼのいずをへて、ハイライズ、光束夜、マヘルシャラルハシュバズ、渚にて、シェシズ、不失者と、日本のアンダーグラウンド界をドラマーとして渡り歩いた高橋幾郎によって叩き出されたリズムは、その静寂もしくは静止された時に『血と雫』のみが刻み得る、外界を遮断した、彼らのみの因果律を張り巡らす。その精密な三者の音の絡み合いは、粒子間のレベルに浸透し、やがてその共振は、僕の身体を軟らかな弛緩と共に拘束していく。
血と雫、それは、日常の、飢えと渇き。いつしか何処迄も心地良く、そして何処迄も残酷な響きを奏でる。共鳴し続けるその震えは、僕の身体を蝕み、むしろ温かささえ垣間見せる。
20121122/Genet(AUTO-MOD)バンド名の意味と、到る過程。
血と雫 je prie pour que la goutte ne tombe pas
フランス語の部分にあたる意味、「その雫が落ちないことを祈る」は、宮沢賢治の「過去情炎」という一編の詩から引用したものです。実際のオリジナルテキストでは、「その雫が落ちないことをねがふ」なのですが、願う、祈るの違いはともかく、バンド名を決めるにあたり、念頭には先ずこの言葉がありました。
その雫が落ちないことを祈る
je prie pour que la goutte ne tombe pas
数年前に書いた散文より
木末《こぬれ》から雫落ちるかたわれ時のこと。己に睡臥《すいが》する主を揺り起こそうと、忌まわしい功徳を羽織り瞑想に嵩じていた。
渇きは木末の雫により潤いをもたらし、主は掌のくぼみに雫を溜めた。己は喉笛を開くと、ゆっくりと掌を口元に近づける。
だが、其処には凝固した主の血塊が滲んでいた。落日である。
要約すると、『木の枝からぽたりと落ちる樹の雫を飲み干す為に、両手で雫をすくうように溜める。そうして、溜まったその雫を飲もうとするが、両掌に溜まった雫は、既に固まった自分自身の血だった。』と、いう意味合いの散文です。 ここから、「血」、「雫」、【血と雫】。
血と雫 je prie pour que la goutte ne tombe pas
他国語による意味の部分の表記に関して。厳密にはあってもなくても、またフランス語である必然性もないのですが、命名の根源はこの意味にあり。
血と雫
その雫が落ちないことを祈る
その境地に於ける精神と実践
最も重要な考えは「その人が生きてきたことの響きのようなもの」である。楽器を使って音楽を奏でるという前提はあれど、何よりも大事とするのは、その人自身がグループを形成し音像を作る。という観念である。抜群な技巧演奏や音楽的に器用な捉え方は必要としていない。それらの否定ではなく、ここに於いては不要なのである。音楽を、より上手に演奏するというプロセスを求めているのではない。求心はその人間性にある各自の個性にある。それが「その人が生きてきたことの響きのようなもの」という観念と法則であると考えている。グループはそれらを集約する為の実践の場所なのである。
グループ内に於いてその関わりの信頼。例えば、それは違うと感じるような時に、如何にして周囲を信頼出来るかの見定め。先ずそれを中心に考えることが出来れば、自然に修正される現象が必ず起こる。その結果を正解とする。という考え方である。急速な判断を必要とする場合を除き、グループ内に存在する自然体を信じること。これを先ず優先に考えるべきである。その観点から言えば、結果が段々と変化していくことも起こりえる。それは成長であり、歓迎するべきことなのである。その信頼が強くなればなる程に、楽曲に生命を宿すことが出来る。グループが生み出すもの。その為に必要な行いと意識に集中することで、自ずと自分自身にも変化が訪れる。その変化を柔軟に広げることが、信頼へと繋がるのである。
では、信頼とは何であるのか。グループとして作用する為の心身のいとなみ。他方に働きかける反作用の調和。それら全体をつつむ思考の相乗化である。ひとつの力ではなし得ない力。それは、単に楽器を奏でる能力のみを指しているのではない。グループ内で発生する各音色は相互に効果を強める。各自が主音を奏でる上での安心は、音を聴くのみにならず、その背景にある人を信じることにある。その理解と達観のあるグループは、細分化された個人が、離散と集合を繰り返す集まりとは明らかに性質が異なる。このグループの方向性はここに集約されている。その上で生み出す楽曲が、グループの音楽性であり、精神性でもある。
一般的に言えば、音楽をグループで演奏する前に、特段これらの事柄を意識をしなければならない。と、言うことではない。他にも沢山の手段と方法はある。ここで書いていることは、血と雫に於ける成り立ちと理念であり、このグループの基本的な考え方のひとつである。それは、これまでの経験が齎した考えとも言える。「その人が生きてきたことの響きのようなもの」それは参加者の全てに基体している経験である。血と雫の動因はここに帰依していて、それを最良に生かす為の方法が、その境地に於ける精神と実践なのである。それが、最終的にグループとして最大の個性へ繋がると信じている。
20130318/森川誠一郎Grænd Físh/Læb